明治の初め頃久保田安兵衛氏がこの地域の部落のために土地を寄贈されたのが始まりです。
当時は100戸ほどしか無く部落長であった井上嘉助氏ほか88名の連名で明治8年(1875年)に登録されました。
時代を経て昭和22年(1947年)にこの地域は小山字相原村になったのですが、相模原市が誕生した時、不思議なことに“相原村”が登記証から抹消され“小山字2220”となっていました。
市政施行時点で“相原村xxxxx”となっていたら現在の町田市の中に入りますので恐らく現在の自治会館は存在しなかったのではないでしょうか。
先人の会長が直したものなのか或いは市政施行時に漏れたのか今では定かでありません。
いずれにしてもこの結果現在の宮下(本町)があり自治会館が存在したのですから。
一方でこの地の人々が蚕影神社をまつり、庵を開くなどして神仏の講を続け、部落の青年団
も利用したり、遊園地を造るなどの活動を続けていました。
昭和60年頃にはこの講も諸般の事情から継続が困難となり、当時の自治会へ遊園地と蚕影
神社および庵のお世話を依頼され自治会で継承することになりました。自治会ではその後、蚕影神社や遊園地など敷地全域の整備を実施し、中に自治会専用の倉庫も建設しました。
後に現在の自治会館建設が実現したわけですが実はこのときの“倉庫”がとても大きな役割を果たします。
自治会を護り育てて下さった先人の知恵と努力に改めて敬意を表したいと思います。
さて、現在の自治会館建設の経緯ですが、なかなか難しい状況の中それを可能にした幾つかの理由を以下に述べてみます。
1)第一にこの地が久保田安兵衛氏より寄贈されたこと。
2)その土地に既に自治会専用の倉庫が建設されており、既存建築物の続きとして自治会館建設の許可が得られたこと。
3)防衛施設庁管理の現米軍補給廠の中に以前小学校があったことが立証され地域として1600万円の補助金を受けられたこと。
4)相模原市より400万円の補助金を受けたこと。
5)更に何といっても地元会員の皆様の分担金及び寄付金で1000万円が集まったこと。
この結果合計3000万円の資金が準備できて自治会館が建設されることになりました。
特に昭和60年度の役員の皆様と建設委員会の皆様、分担金及び寄付金をいただいた地元会員の皆様方のご尽力に感謝いたします。
更に工事着工から落成に至るまで尽力頂いた朝日建設殿、地鎮祭及び蚕影神社の建設等等にご尽力頂いた連乗寺ご住職に深謝致します。
なお、自治会館建設にあたり寄付金をいただいた方々に対しては、木札にその名を記録し自治会館一階ホールに永久保存して参ります。
「団地管理組合法人」について
この法人は、所有権が特定の人にならないよう建物の区分所有等に関する法律として、昭和58年に法律第51号として改正、公布されているものです。
宮下自治会館のように地域性があり、地域の人々の寄附により建設されたものは特定の人の所有権にせず代表理事(自治会長)を代えることで所有権は移動いたしません。
宮下自治会館団地管理組合法人には、代表理事のほかに宮下本町の各丁目から2名、計6名の理事を選任するとともに、監事2名を選任しています。
これらの役員は、宮下自治会館団地管理組合法人の不動産に財産管理上の変更が生じた場合、宮下自治会の監督の下に理事会を開き審議し決定する仕組みになっています。(20161225 Fujino)
歴代会長一覧
以下に宮下自治会における初代会長から現在の会長までの一覧を掲載します。
当時は100戸ほどしか無く部落長であった井上嘉助氏ほか88名の連名で明治8年(1875年)に登録されました。
時代を経て昭和22年(1947年)にこの地域は小山字相原村になったのですが、相模原市が誕生した時、不思議なことに“相原村”が登記証から抹消され“小山字2220”となっていました。
市政施行時点で“相原村xxxxx”となっていたら現在の町田市の中に入りますので恐らく現在の自治会館は存在しなかったのではないでしょうか。
先人の会長が直したものなのか或いは市政施行時に漏れたのか今では定かでありません。
いずれにしてもこの結果現在の宮下(本町)があり自治会館が存在したのですから。
一方でこの地の人々が蚕影神社をまつり、庵を開くなどして神仏の講を続け、部落の青年団
も利用したり、遊園地を造るなどの活動を続けていました。
昭和60年頃にはこの講も諸般の事情から継続が困難となり、当時の自治会へ遊園地と蚕影
神社および庵のお世話を依頼され自治会で継承することになりました。自治会ではその後、蚕影神社や遊園地など敷地全域の整備を実施し、中に自治会専用の倉庫も建設しました。
後に現在の自治会館建設が実現したわけですが実はこのときの“倉庫”がとても大きな役割を果たします。
自治会を護り育てて下さった先人の知恵と努力に改めて敬意を表したいと思います。
さて、現在の自治会館建設の経緯ですが、なかなか難しい状況の中それを可能にした幾つかの理由を以下に述べてみます。
1)第一にこの地が久保田安兵衛氏より寄贈されたこと。
2)その土地に既に自治会専用の倉庫が建設されており、既存建築物の続きとして自治会館建設の許可が得られたこと。
3)防衛施設庁管理の現米軍補給廠の中に以前小学校があったことが立証され地域として1600万円の補助金を受けられたこと。
4)相模原市より400万円の補助金を受けたこと。
5)更に何といっても地元会員の皆様の分担金及び寄付金で1000万円が集まったこと。
この結果合計3000万円の資金が準備できて自治会館が建設されることになりました。
特に昭和60年度の役員の皆様と建設委員会の皆様、分担金及び寄付金をいただいた地元会員の皆様方のご尽力に感謝いたします。
更に工事着工から落成に至るまで尽力頂いた朝日建設殿、地鎮祭及び蚕影神社の建設等等にご尽力頂いた連乗寺ご住職に深謝致します。
なお、自治会館建設にあたり寄付金をいただいた方々に対しては、木札にその名を記録し自治会館一階ホールに永久保存して参ります。
「団地管理組合法人」について
この法人は、所有権が特定の人にならないよう建物の区分所有等に関する法律として、昭和58年に法律第51号として改正、公布されているものです。
宮下自治会館のように地域性があり、地域の人々の寄附により建設されたものは特定の人の所有権にせず代表理事(自治会長)を代えることで所有権は移動いたしません。
宮下自治会館団地管理組合法人には、代表理事のほかに宮下本町の各丁目から2名、計6名の理事を選任するとともに、監事2名を選任しています。
これらの役員は、宮下自治会館団地管理組合法人の不動産に財産管理上の変更が生じた場合、宮下自治会の監督の下に理事会を開き審議し決定する仕組みになっています。
歴代会長一覧
以下に宮下自治会における初代会長から現在の会長までの一覧を掲載します。
- 更新日:2024年4月1日